タイ・ミャンマーの快楽処刑

タイやミャンマーのマフィアが裏切り者を処刑する方法が紹介されていました。

ほんまかいな!?


【閲覧注意】快楽◯刑の実態がヤバイ、 一生に一度きりの快楽に悶える人々 - YouTube

快楽処刑」でググると、いろいろ出てきます。

タイ・ミャンマー国境地帯の麻薬マフィア"快楽処刑"とは? 「ヨーロッパの阿片窟」が残した負の遺産 - エキサイトニュース

 私は、ルドルフ・グライナーです。日本と世界を研究するドイツ人です。私は、日本と世界の違いやドイツと日本の違いを研究しています。
 今回は、 最近、ヨーロッパで話題のタイとミャンマーの国境地帯のマフィアや少数民族が行った"快楽処刑"についてご紹介します。そして、なぜこのような処刑法が生まれたのか、その起源は何なのか、歴史を遡って探っていきます----。

■タイとミャンマーの国境地帯のマフィアが行った「快楽処刑」とは?
ニュースによると、あるマフィアのグループ内で規則を破った数名の男女に対し、「快楽処刑」という刑罰が下されたということです。

【「快楽処刑」壮絶内容】

・処刑小屋
 まず、小屋の中の柱に男女を全裸で縛り付けます。その小屋は、出入り口が1つしかなく、そして、藁にバナナなどの葉が交ぜられた壁が何重にも重ねられ、あまり通気性がよくない小屋だったそうです。また、その小屋は山の上にあり、崖に面しています。ちょうど多くの人が住んでいる村から見えるような場所です。

・焚き火
 そして、その小屋の入り口と小屋の中で、焚き火をします。その焚き火の中には、ヘロインをとった後のケシの実や麻の実が大量に入れられています。要するに麻薬を燃やした煙を小屋の中で充満させるのです。その焚き火は三日三晩連続で行われます。数名はこの時点で中毒死してしまいます。そして、生き残った人も、幻覚で完全におかしくなってしまいます。

・ヘロイン小屋の中で
 村から見れば、三日三晩その小屋の屋根から白い悪魔の煙が立ち上ります。




初めのうちは「やめてくれ」「ここから出せ」というような悲鳴が聞こえるそうです。しかし、いつの間にか、「えへへへへへ」というような不気味な笑い声が聞こえ、またわけのわからない「うおー」というような咆哮が聞こえるようになります。それでも焚き火はやめません。生かしておかなければならないので、たまに、村人などがその小屋に水を与えに行きます。始めのうちは哀願している男女も、いつの間にかだらしなく口からよだれを出し、水を飲んでも反応が少なくなる。そして、だんだんと「動物」のようになってくるというのである。そして、何も食べず、体力もなくなってしまうというのです。男性の中には、股間が射精で汚れている者もいるらしいです。

・三日三晩過ぎた後、生殺し処刑
 そして、三日三晩が過ぎると、処刑人は、数本のナイフを持ち、そして女性の縄だけをほどきます。あとはカメラで監視します。女性はまず、近くにある水を飲み、そして男性を殺して、または生きたまま食べ始めます。また、好みの男性の股間にまたがって、そのまま死ぬまでセックスを楽しむというのです。男性は縛られているので抵抗もできません。ただ女性たちにされるがまま、声を上げているだけですが、食べられている男性も、始めのうちは生きているので、声を上げながら抵抗しています。また、セックスをしている男性は体力の限界までセックスをし続けるので、完全に体中がなえてしまって枯れるようになって死んでしまいます。




・処刑の最期
 そして、男女両方の縄をほどき、生き残った全員を小屋から出すと、フラフラと崖から飛び降りてしまうのです。飛び降りず、村の方に下りてきた男女は、再度捕まり牢屋に入れられ、処刑人数が集まってから、もう一度同じことが行われるそうです。小屋の中には、セックスのしすぎで枯れたように死んだ男女の死体と、食べられてしまい、骨の見えた血まみれの死体が残っているという状態です。そして、崖の下には、何人かの全裸の男女の死体があるのです。

■「快楽処刑」の起源
 これらの刑罰は、昔ヨーロッパで流行していた「阿片窟」といわれる「喫煙所」の奥の「仕置き部屋」で行われていたリンチと同じで、ヨーロッパのマフィアのリンチ方法です。
 マフィアは、売春婦やボスの情婦が裏切ったりした場合に、普通に殺すのはつまらないので、阿片窟の奥に連れてき、女性を閉じ込めて阿片を大量に吸わせ、そのまま地下牢につなげて最下層の売春婦にしてしまったといわれています。そのような最下層の売春婦は、最後には、もちろん殺されてしまうのですが、その文化が植民地の支配者を通じて東南アジアに入ります。そしてそのようなマイナスの文化が、いつの間にか東南アジアのマフィアの間で流行するようになったのです。
 ヨーロッパの一部では、このマフィアの撮影したカメラの動画を見ることができるようですが、私は見ていません。見た人の間では、有名な話になっています。

■植民地時代の東南アジア
 東南アジア各国は、建国後、時間がたっていない国がほとんどです。




制度や法律はできていても、民衆の生活に適合していない場合が多い。なぜなら民衆は、法律どころか、識字率も低いのですから。
 これは、われわれヨーロッパ人がよくないのですが、大航海時代以降、ドイツを含むヨーロッパの国々が、こぞってこの地域を植民地としていたのです。
 ヨーロッパ人は植民地に対し、基本的に教育機関を設けず、奴隷制度で支配し、自分たちよりも高い能力を持つ人が出てくるのを防ぎました。また、ヨーロッパ人が本当に欲していたのは人間ではなく、自分たちの役に立つ"物質"です。たとえば、イギリスの東インド会社の場合は、紅茶は必要でも紅茶を作る畑も、紅茶を栽培する人も要らないということになります。
 狩猟民族の文化があるヨーロッパでは、「相手を殺して自分の栄養にする」という考えが中心にあります。それゆえ、日本のように「植民地に教育を施して、同等に近い生活をさせる」という発想はないのです。現在、日本が支配した場所は、一部を除いて日本に良い感情を持っている土地が多いですね。一方、ヨーロッパ、特に白人に対してはあまりいい感情を持っていないというのは、このようなことが原因ではないでしょうか。

■負の遺産は、受け継がれる
 さて、彼らが独立した後、彼らは独立した自分たちの政府を作ります。しかし、残念ながらそこに教養や教育は少ないのです。もちろん、まったく教育を受けていなかったとか、そのようなことを言うつもりはありません。




しかし、彼らの教育水準が、彼らが独立した当時、欧米や日本など先進国と比べて高かったかというと、そういうことはないのです。
 そこで、彼らは「自分たちがされていた支配方法」を、自分の国民に行うようになります。民主化などが行われるのは、独立後ずっと先のことです。それまでは、彼らは、彼らがヨーロッパの人々に支配されたとおりに、軍と武力で支配を強めてゆくことになるのです。
 さて、そのような悲しい歴史の原因はヨーロッパを真似たものです。しかし、ヨーロッパ人は、自分たちの歴史も忘れ「前近代的」「野蛮」といって批判してしまうのです。
 このことは、処刑や刑罰などに関しても同じです。彼らは、中世の封建時代のヨーロッパをそのまま持ち込んでいます。植民地に派遣されたヨーロッパ人たちは、好き放題残虐な刑罰を行っていましたが、それを彼らが受け継いでしまったということです。ヨーロッパの植民地侵略が生んだ負の歴史は、まさに処刑という文化にまで根強く残り、そしていまだに彼らを苦しめているのです。
(ルドルフ・グライナー)



もともとは、ヨーロッパで行われていた習慣らしいですね?

本当かどうか?確かめようがないので何とも言えませんが、こういう方法を思い付く奴がいても、おかしくはないのでしょう。
小説とか、映画ならあり得るかもしれないけど、日本じゃこんな習慣見たことないよなー。
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[ 2016/05/12 17:53 ] 犯罪 | TB(0) | CM(0)

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